ロシアから日本(北海道)に亡命してきたプロ野球草創期の名投手。旧制中学三年の時、日米野球のための選抜チームの投手として半ば強引に参加させられる。巨人に入団後澤村栄治投手が兵役でいない後実質エースとして君臨、戦前までに199勝を記録。戦後巨人の誘いを断りパシフィック、金星、高橋ユニオンズと渡り歩き、1955年に史上初の300勝を達成。通算303勝まで伸ばす。引退後、1957年1月交通事故で悲劇的な死を遂げる。野球殿堂では最初の競技者表彰として顕彰された。