兵庫県出身。投手、昭和16年(1941)の選抜中等野球大会で試合中左腕を骨折しながらも投げ続け、敗戦。「泣くな別所、センバツの花だ」と賛辞を贈られた。その後、南海に入団、野球史に必ずでる「引き抜き事件」で巨人に移籍。その後の活躍は素晴らしく、通算310勝をあげた。とにかくタフな投手で故障知らずで完投も多く、何回時代には現在も日本記録のシーズン47完投を記録。野球殿堂入り。