春浪漁史バッターボックスに立つ  ムーンライト・ブックストア 村井亮介

野球雲 創刊号 2012 autumn『快男児押川春浪』
横田順彌・會津信吾著
徳間文庫/1991年

スポーツ本、とりわけ野球本を読むようになったのはいつだろう。つらつら考えていると、沢木耕太郎『敗れざる者たち』が浮かんできた。30年以上前に発行されたこの本は、後に道ができたスポーツ・ノンフィクションの草分け的作品で、長嶋茂雄の陰で消えていった三塁手、打撃の職人榎本喜八、野球にまつわる文章も含まれていたと思う。
古本屋を始める時、スポーツ本も充実させたいと思い、それなりに集めてきた。でも、あまり売れないんだねえ。そこで、本屋とスポーツ本の関係について考えてみた。すいません、ヒマな午後だもんで。世に、文化系と体育系という言葉がある。(理科系もあるが話がややこしくなるので省きます)。『江夏の二十一球』『シューレスジョー』を読んだことのある高校球児は皆無に等しいと睨んでいる。そんなヒマがあったら、素振りや腹筋をやっていた方がましだし、読むんだったら『バッティングの正体』『絶対うまくなるピッチング』みたいな上達指南書だろうなあ。
書評第1回目は、高校球児がまったく興味を示さないだろう本『快男児押川春浪』からスタートしたいと思う。押川春浪(本名方存)は、日本のSF作家の開祖であり、『冒険世界』『武侠世界』なる一世を風靡した雑誌の編集者。この春浪が文学の前に、のめりこんだのが野球だった。このあまり知られていないマルチに才能を発揮した明治人に着目したのが著者の横田順彌。本作品は、明治という時代をライフワークとする横田と春浪研究に情熱を傾ける會津信吾との共著。春浪の数奇な生涯を小説風に味付けするのではなく、多くの資料、証言に基づき、異能の人物を浮き彫りにしていく。もちろん堪能できるが、小説版も読んでみたい気もするなあ。
春浪が野球に出会ったのが、明治24年(1891年)明治学院予科二年の時。明治学院は、ヘボン式ローマ字で知られるJ.C.ヘボンが創設したミッション系の学校。野球が日本に入る経路の一つは、当時日本各地にできたミッション系の学校に赴任したアメリカ人教員によって、春浪もその一人だったろう。
春浪は、勉強そっちのけで野球に熱中して、二度も落第。父方義(キリスト教育者)が創設したばかりのの東北学院に呼び戻され、それでも野球に呆け、札幌農学校(北海道大学)へ、、劣等生は転々として、最後は東京専門学校(早稲田大学の前身)に落ち着くことになる。春浪のバンカラ精神は生来のもののようで、本書で紹介される学生時代のエピソードには、「お、やるなあ」と思わずほほ笑んでしまう。
明治33年(1900年)早稲田在学中に発表したのが『海底軍艦』。ジュール・ベルヌの科学小説から想を得たというこの小説は、瞬く間にベストセラーになっている。
春浪の生涯で最も興味を持ったのが「天狗倶楽部」。これは、明治、大正初期に存在した当時の錚々たる人物たちが名を連ねたスポーツ社交団体。野球はもちろん、相撲、テニスなど、自らプレイし愉しみ、その普及・振興に努めている。このグループの自由度と底辺にある遊びの精神は、今日でも通用すると思う。
「天狗倶楽部」からは、弟押川清(早稲田大学三代目主将、中日ドラゴンズ結成)をはじめ、五人の野球殿堂入りの人物を輩出。よちよち歩きの野球を学生スポーツとして確立し、後のプロ野球へと橋渡しした「天狗倶楽部」の残した功績は大きい。
作者は、この春浪評伝のタイトルに「快男児」「熱血児」の冠をつけている。劣等生、ヘビースモーカー、大酒のみだった春浪、作家、雑誌主幹、野球振興と八面六臂に明治を駆け抜けた春浪。齢38歳で死去。種村季弘は著書『夢の舌』で、「昭和まで生き延びていれば、破滅型文士とされたに違いない」と結んでいる。

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