#01 渡辺誠太郎(阪神タイガース-太陽ロビンス-松竹ロビンス-大洋ホエールズ)

野球伝説劇場#01 渡辺誠太郎「親戚にプロ野球選手がいるんですよ」。こんど野球雑誌をつくることを告げると、知り合いの女性Tさんはそう言った。「えええ?」 Tさんは70代半ば、半信半疑話をお聞きすると、そのプロ野球選手はTさんの母親の弟、いわゆる叔父さんに当たる人だった…
そうして、数日後の昼下がり、メールに3枚のセピア色の写真が添付されて送られて来た。「おおお!」送ってくれたのは、故郷秋田に住むTさんの甥にあたる方だった。「こんなことがあるんだな。野球雲はきっといいことがあるぞ」
その元プロ野球選手の名前は渡辺誠太郎。1941年(昭和16年)に阪神タイガースに入団、44(昭和19年)、45年(昭和20年)は従軍、戦後46年(昭和21年)には開幕投手となり、10勝12敗となっている。48年(昭和23年)に太陽ロビンスに移籍、51年(昭和26年)大洋ホエールズで現役を終えている。
野球伝説劇場#01 渡辺誠太郎
甲子園で撮ったと思われる阪神タイガースのメンバーたちとの集合写真。後列左から二人目が渡辺誠太郎。大きく足を上げたワインドアップがかっこいい。ひと際高い長身で、長身を生かしたドロップが武器だったという。
また、渡辺誠太郎は、プロ野球最短試合に関わったピッチャー。1946年(昭和21年)7月26日西宮球場で行われた対パシフィック戦、13時15分に開始された試合は14時10分には終了、なんと試合時間は55分。先発の渡辺誠太郎は5安打88球、対戦投手湯浅芳彰も7安打93安打で完投している。
そして、もう一つ渡辺誠太郎にまつわるエピソードを「野球雲」スタッフが教えてくれた。巨人の欠番の一つ4は黒沢俊夫がつけていた背番号。黒沢は、戦後まもない巨人で川上哲治、千葉茂とクリーンナップを打っていたが、1947年(昭和22年)シーズン中に腸チフスを発病、急逝した。球団は背番号4を永久欠番とし、球団葬を行った。この時の相手チーム阪神タイガースの先発をつとめたのが渡辺誠太郎だった。
野球伝説劇場#01 渡辺誠太郎
手元にあった1950年(昭和25年)の選手名鑑を開いてみた。渡辺誠太郎は阪神から移籍、松竹ロビンスの一員として紹介されている。①年齢/27②背番号/17③位置/投手④土崎商業(現秋田商業)⑤経歴/コントロールを覚えればものになる。打撃は優秀である⑥趣味/映画。
1922年(大正11年)生まれの渡辺誠太郎は現在90歳。神戸で暮らしているという。
※このコーナーでは、現在は時の流れで忘れ去られてしまった伝説のプレーヤーたちを紹介していきます。情報や写真お持ちの方はぜひお知らせください。

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