3000本安打クラブメンバー / ナポレオン・ラジョイ

マイアミ・マーリンズのイチロー選手の
3000本安打まであと2本(7/29現在)となりました。
メジャーリーグには過去29人の3000本安打を達成した選手がいます。
イチローはよほどのことがない限り30人目の3000本安打クラブのメンバーなります。

ピート・ローズ、タイ・カッブなど名選手がいますが、
野球雲もランダムですが3000本安打クラブのメンバーを紹介します。

 

今回は19世紀から20世紀に活躍した
タイ・カッブと同時代に活躍した
ナポレオン・ラ・ジョイを紹介します。

200px-Nap_Lajoie_1913

1896年フィラデルフィア・フィリーズでメジャーデビュー
初年度は39試合の出場ながら.326を打ち、
翌年レギュラーで.361を記録した。
フィリーズで5年間の打率は.345を打ちスパースターになっていく。

1901年フィリーズから同じ都市のアメリカンリーグの
アスレチックスに4年間で24,000ドルで引き抜かれ、
いきなり打率.426という21世紀の現代まで破られていない
シーズンの最高打率を記録、その上本塁打14本

当初は1塁を守っていたが、1898年から2塁を守るようになり
華麗な守備でより人気を集めた。

アスレチックスが強引に引抜をしたことに
フィリーズは納得せず、ラジョイをフィラデルフィアでの
試合をさせないようにと裁判所に提訴。
1902年に「ラジョイをフィリーズに戻せ」という判決

アメリカンリーグは
ラジョイをクリーブランド(現インディアンズ)に移籍させる処置をし、
1903年からクリーブランドはスーパースターラジョイの入団を機に
チーム名をブルースから「ナップス」という名称に変えた。

チームは変わっても、ラジョイの打棒の凄さは変わりなく、
1897年から1906年までの10年連続3割以上を記録、
デビューから1906年までの通算打率は.354という高打率。
ナップスの球団名は彼がチームを離れる1914年まで続いた。

1910年はタイ・カッブとの首位打者争いが有名で
終盤まで二人の打率は争い、3割8分台の次元の高さだった。

タイ・カッブは1905年にデトロイト・タイガースでデビュー、
2年目からものすごい勢いで台頭してきた、ファイター的打者だ。
その上、性格も荒々しく、リーグでもアンチな存在だった。

最終戦はセントルイス・ブラウンズとのダブルヘッターだった。
そしてラジョイは2試合で8本のヒットを放ち、カッブの打率を抜いた・・。
と、感動的な逆転劇では終わらなかった。

ブラウンズは普段からタイ・カッブが嫌いで
温厚なラジョイになんとか首位打者を獲らせたいと思い、
ブラウンズの監督が三塁手の守備を後ろに下がらせ、
セフティー・バントを誘導させ、ラジョイが三塁前に転がし、
7本が内野安打にしたものだった。

それでも、最終的に
カッブが.3848.ラジョイが.3841という僅差で
タイ・カッブが首位打者を獲得した。
ブラウンズ監督は露骨な八百長行為として永久追放処分となった。

しかし、1981年に1910年の記録の集計に誤りが見つかり
カッブのヒット数が196本ではなく194本ということで打率が.383に修正され
シーズン打率は2位に変更されたが、当時のMLBは
ラジョイのヒットも八百長行為からとの認識から
首位打者はタイ・カッブのままとなり、
カッブの12年連続首位打者の記録は残り、
ラジョイはシーズン1位なのに、首位打者になれなかった唯一の選手になった。

ラジョイは1916年に引退
首位打者4回、2480試合、9589打数、1504得点、3242安打
657二塁打、163三塁打、82本塁打、1599打点 通算打率.338を残した。

1937年野球殿堂入り

2015年2月のブログに加筆しました。

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